榊原紘さんトークショー&配布ペーパー

12/14、京都のCAVA BOOKSにて歌人の榊原紘さんとトークショーを行いました!

その際、なんと榊原さんが『布団の中から蜂起せよ』刊行記念の折句を作ってきてくださいました。その折句はこちらから読めます。榊原さん本当にありがとうございます……! 生きてるとこんないいこともあるものですね。

あまりにうれしかったので、浮かれた筆で鑑賞文を書き、会場で特典ペーパーとして配布しました。

その全文を以下に掲載します。

榊原さんの超絶技巧をぜひ一緒に味わってください!

 

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榊原紘さんの折句に寄せて                              高島鈴

 

近頃は大抵起きると三時過ぎとかで、もう大学とか役所に行くには遅い。何の気力も起きないままごろごろしているとまたそのうち七時とかになっていて驚愕する。日常はそうやって潰える。一応大学院に籍を置いている身だから、研究はやりたいと思うのだけど、心の興味関心が湧いてくる部分がすっかり枯れ井戸になった今、進んで何かをしようというのがどうしてもできない。その状況にまたすっかり落ち込んで、数日を浪費することもある。毎日悔しくて悲しい。その繰り返しだ。

そういう状況で、どうにか初めての本『布団の中から蜂起せよ』を上梓した。無数の人が今ベッドの中で私と同じ思いをしているのではないか、その人たちは「生きていていい」という誰かからの太鼓判を必要としているのではないか、と思って書いた。私の祈りがどれくらい届くかはわからないけれど、今のところ少なくない人の手元で拙著は読まれているようで、とてもうれしく思っている。そして時折応答もある。榊原紘さんからは、折句という形で返事が返ってきた。

 

起つことも傅くことも知ったから街に眼差す竜胆の花

 

街の中でも竜胆を見つける。スケールの大きな景色の中から急激に視野は狭く低くなる。ひとり奮い立つ日も誰かに傅く日もあって、その身体の伸縮が自分に備わったカメラの解像度を上げる。足元に咲く小さな花を見落とさない人間でありたいと思う。

 

符牒のバトンの番だよ(泣かないで)関わりたくて雷のなか来た

 

私が本に込めたメッセージが、弱っている人のための符牒になって、人から人へバトンとして手渡されていくイメージを想起した。弱っている人間同士でつながりを作るのは実のところあまり簡単なことではない。それでも関わりたいと願うことは、降り注ぐ雷の中を走り寄ってくるようなものなのかもしれない。

 

暴を以て暴に易う

火口を手に享けてとっくに気づいてる 切なるものは余波を持つこと

 

悪いアジテーションを逐うためにマシなアジテーションをする、と宣言した後書きをオマージュしてくれた一首だと思う。炎は暴力だが、人を温めて奮い立たせるエネルギーでもある。それを両手いっぱいに享けて、自分も傷を負いつつ、どうにか相手の魂に火を渡したい。それが次の誰かへつながる痛切な祈りになる。そう思う。

 

寒茜 こころにゆびにうとましい傷あろうとも念彼観音力刀尋段段壊

 

念彼観音力刀尋段段壊とは、観音の力のもとでは刀で害そうとしても刀のほうが壊れてしまう、という意味だという。私は観音にはなれないけれども、せめて魂を害そうとしてくるあまたの抑圧が襲いかかってきても、その抑圧の方を砕こうとする意志の助けになりたい。それは本来誰にでもできることで、どんなに傷だらけでも、誰かを押さえつける力を倒したいと願う力は、常に傍にある。

 

銃架から叛旗を示せおめおめと木偶も麒麟も冬天を指せ

 

恥を知らない瞳で木偶から麒麟まで、つまりあらゆるものが反旗を翻す。夢にまで見る蜂起の風景である。私はあなたがたを生へ、つまり革命へと扇動する。冬天に凍えて布団にくるまっている無数の人びとや人でないものたちへ、みなが生きて新しい世界を臨めますように。